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上原治也

「“得意淡然、失意泰然”で為替に臨む」 ―上原治也 氏 [後編]

2009年12月23日(水)

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(中編はこちらから)

■得意な金利物で大きな損失を出す

金利裁定の方程式を作り、そのメカニズムを全部勘定科目で起票できるようシステムを構築した。為替を金利に置き換える操作を勘定科目でクリアしたのだが、東京では大蔵省に認められない。ディーリングとシステムに強いロンドンの前任者はヒューレットパッカードの代理店と交渉し、手に乗るポケットコンピューターにこの式を入れた。今でこそ当たり前でも1983年当時この仕訳を10〜15秒で瞬時に完結する手法を持っていた事は正に隠し兵器にも等しかったと思う。

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為替を金利で見るセンスはとても大事で、僕は、為替のスポットのディーラーと金利のディーラーを両方経験させた方が良いと思っている。資金取引、先物、スポットで三位一体なので、ディーラーをローテーションさせる余裕が欲しいと思う。

今は思い出話ではあるが、儲けの大きい金利物では逆に大きな損失も経験している。それはロンドン駐在中に僕が行った資金取引で発生した。84年、ボルカーが議会証言で金利を低めに誘導した時のことである。その時までドルの絶対金利は二桁だったが、超高金利によりアメリカの産業界が疲弊していた。このボルカーの議会証言をきっかけとして、金利の見直しが行われ、金利は急降下し始めたのだった。当時の僕は、ドルの持っているポジションを調達超にして、金利が更に上がるだろうという想定のもとに金利を早めに手当していたため、金利の低下に対するひっくり返し(ポジションの反転)がなかなかできなかった。リスク量が大き過ぎたのだ。

当時の金利取引にもフューチャーマーケットなどもあったが、逆張りで倍返しするのは、きわめて難しい規模だった。スポット取引でも、1億ドルを2億ドルにひっくり返す程度は無理ではないが、5億ドルの6カ月物の取引を1年物にひっくり返して10億ドルにするには与信取引にも影響してくるので、それほど簡単なことではない。それゆえに、どうしても後手後手になってしまい、あっという間に当時で40億円ほどの含み損を抱えてしまった。

為替取引でのストップロスはわかりやすいが、当時、資金取引の長期間物のリスク管理は、なかなか難しいことだった。結局、僕は資金課長から調査役に降格されドクターストップが掛かり東京に戻る事となり、金利物からは足を洗い為替専門になった。帰国命令の出た日のブリティシュ・レールの切符は今でも“お守り”として会社の机に大事にしまっている。Londn(Moorgate)-HadleyWood £1.70

■40億円の損失からの劇的リカバリー

しかし、この損失はカバーできたのである。それはひとえに、東京とロンドンが中心になった三菱信託銀行のチームワークの賜物だった。2年を倍返しでは無理なので時間をかけながら5年の超長期物の運用超にシフトした。初めの2年は逆鞘だが、3年先あたりから含み益に変わり、この損を取り返すことができた。ディーリングは、個人の力ではなくて、壮大なチームワークと装置産業だと確信した出来事だった。正に社風に救われたと実感したし、この社風を大事にして行こうと思った。
 
すぐ結果が判るのでディーリングは面白いが、その収益で会社への貢献を実感できることも大きい。一方で人間性も丸見えで、太っ腹風にみえても意外と用心深かったり、用心深そうにみえても結局ナンピンなんかして大きく負けるような人もいる。良い時も悪い時も、為替は人間の性格が如実に出る仕事の様に思う。

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“ディーリングは個人の資質に依る事が極めて大きい”これは事実だが、一方、用心深い人、大胆な人という風に人間性のみで決め込むのではなく、“こうした方が傷が浅いよ”とか、“順張りでああいうふうに上乗せした方が儲けはもっと大きくなるよ”、などと相互にアドバイスし合える風土、先輩、後輩のネットワークがあってこそ個人の力量が発揮出来ると思う。

部長時代に社内の資金為替ファンを増やそうと思って、現場の各支店から研修生(トレーニー)を短期的に受け入れる試みを実施した。200万ドルまで1日やっていい、好きなようにやりなさいと言うと、不思議なことに全員が、間違いなく、50万ドルずつナンピンする。「売り」から入っても「買い」から入ってもナンピンになる。そして、ストップロスに引っ掛かってしまう。しかし、慣れてくるとそのナンピンの水準もレンジが拡がり持値を改善するし、場合によっては、早く手仕舞って倍返しするなどの判断力がついてくるのである。

■為替なくして今の自分なし

人間は失敗を糧に成長する。ミスをどう次に活かしていくかが、その人の成長に繋がる点は為替の世界でも同様だ。何度も同じ轍を踏むような人は為替には向いてないかもしれないが、一度や二度ぐらいのヤケドはどうってことないのだと思う。為替とは、再起不能のケガをさせてはいけないけれど、ヤケドぐらいだったらいいじゃないかというような思いでやらせないと、なかなか人材が育っていかない業務なのである。

その点、僕はまさしくヤケドを認め育ててくれた三菱信託銀行の社風に救われたと思っている。損失を抱え、失意のどん底でロンドンから戻された時に、明るく励ましてくれた先輩やマーケット仲間には今でも大変感謝している。

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ロンドンで、イギリス人のディーラー仲間が言っていた「イッツ・マイ・デイ・トゥデイ(今日は僕の日)。イッツ・ユア・デイ・トゥデイ(今日は君の日)」という言葉はずっと僕の心の中にある。だれでもツイている時とツイていない時があるけれど、そんな時、落ち込まないよう拗ねないようにして過ごしていれば、周りの人がもう一回やらせてやれよとチャンスを与えてくれる。そして、誰かがちゃんと見てくれているから、自分もここでもうひと踏ん張りしようという気持ちになれるのだ。

為替をやっていなかったら、社長にならなかった。ちょうど85年9月のプラザ合意で大きく為替が変動している中で、僕は、三菱信託銀行における資本取引を拡大すべく、社内の関係各部の人たちに理解を求める働きかけを行った。その結果、会社全体としてこの為替の流れを好機と捉えるコンセンサスを作った。ここでも社風、上司、部下に恵まれた。そしてその時、僕が為替を担当している調査役であったため、社内で、もう一度上原に資金為替取引のヘッドをやらせてみようかという話になったのだと思っている。それからのニューヨーク、また東京へと通算21年間のディーラー人生の泣き笑い、長い様で短かった。今でもディーリングルームを覗きに行きたくなる。

やっぱり、once a dealer , always a dealer .なのだ。

(全編終了)

*2009年10月26日の取材に基づいて記事を構成
 (取材/文:香澄ケイト)

【前編】外銀出向で為替に開眼する
【中編】儲けの源泉は先物為替
【後編】壮大なチームワークと装置産業がリカバリーの礎

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